もし、この世界もまた人工世界だとしたら

ここまで、現実の比較や争いを受け止めるために、別の生活圏としての人工世界が必要になる、という話を書いてきた。
けれど、この発想をもう一歩だけ進めると、少し別の問いが出てくる。
もし人がある世界に住み、その世界を自分の現実として引き受けられるのだとしたら、その世界はどこから「本物ではない」と言い切れるのか。
そう考えると、いま私たちが現実と呼んでいるこの世界の方も、さらに上位の世界が作った人工世界なのではないか、という疑いが出てくる。いわゆるシミュレーション仮説である。
ただ、ここで言いたいのは、単に「この世界は偽物かもしれない」という話ではない。
むしろ、上位世界の人々が互いに争わないように、それぞれに個別の世界を与えた結果の一つが、この世界なのではないか、ということである。
もしそうなら、この世界は全員のための共有世界ではないのかもしれない。

本当にこの世界にログインしている主体は一人だけで、私たちの多くは、その一人のために配置された存在なのかもしれない。ゲーム的な言い方を借りれば、私たちのほとんどはNPCなのかもしれない。
しかも、私たちはいま、自分たちの側で人工世界を作ろうとしている。
AIを相手とし、人が住める世界を設計し、一人ひとりに別の環境を与えようとしている。だとすれば、その発想が一方通行だと、どうして言い切れるのだろうか。
人工世界を作ろうとしている私たちは、実はすでに、上位世界の人々が争わないために切り分けられた人工世界の内側にいるのかもしれない。