フルダイブ
フルダイブは実現できるか? Motion-Less VRから考える人工世界の構築
フルダイブは、単に「映像が極めて綺麗なVR」のことではありません。
現実の身体は動いていないにもかかわらず、人工世界では自分の身体が自然に動き、環境と相互作用し、その結果が身体側にも知覚として返ってくる。しかも、その体験が途切れず、違和感が極めて小さい状態です。
この条件がそろって初めて、フルダイブと呼ぶことができると考えます。
フルダイブの定義
本ページでは、フルダイブを次のように定義します。
【フルダイブの定義】人工世界内の行為が、身体的・感覚的に整合して成立する状態
ここで重要なのは、「人工世界内で成立する」という点です。
行為の成立が現実世界の運動や感覚に依存してしまうと、人工世界側だけでは成立条件をコントロールできなくなります。そのためフルダイブとは、成立の根拠を人工世界側へ回収した状態を指す、と整理できます。
現実で身体が動くVRが、フルダイブになりにくい理由
身体を実際に動かす現在の一般的なVRは、直感的に操作でき、没入感も得やすいという利点があります。
しかし本ページの定義に照らし合わせると、これをフルダイブと呼ぶのは困難です。その理由は、「行為」と「感覚の整合」が人工世界の中だけで完結しにくいからです。
行為が現実世界へ「漏れる」
現実で腕を振れば、筋肉の収縮、関節の回転、慣性や疲労といった運動の結果が、現実側で先に成立してしまいます。人工世界内の行為はそれに追従する形にならざるを得ません。つまり、「行為の成立の根拠」が人工世界に閉じず、現実側へ漏れてしまうのです。
感覚の整合が現実環境に強く依存する
床の硬さ、体重移動、重力など、現実環境からの感覚入力は、人工世界の設計と衝突しやすい性質があります。たとえ人工世界が「深い雪道」や「巨大な剣の重さ」を提示しても、現実の身体が受ける感覚と一致しなければ整合性は瞬時に崩れてしまいます。
このように、現実で身体が動くVRは行為と整合の根拠が現実側に依存しやすいため、フルダイブとは明確に区別して扱う必要があると考えています。
フルダイブを成立させる「5要素」
フルダイブは特定の「技術方式」ではなく、「成立条件」によって決まります。
本ページでは以下の5要素を同列のものとして扱います。どれか一つでも欠ければ、体験の成立は崩れてしまいます。
① 運動の抑制
現実の身体が動けば行為の成立が現実側へ漏れるため、「現実の運動が成立しない条件」を作ることが大前提になります。
② 感覚の抑制
運動を抑制した際に生じる拘束感や圧迫感は、人工世界からのフィードバックと衝突し、整合性を壊す要因になります。そのため、不要な感覚入力を極小化するアプローチが必要です。
③ 運動意図の取得
身体を動かさない以上、現実の関節の動きなどを入力にはできません。運動の結果ではなく「動こうとした意図」を抽出し、そこから人工世界内の行為を立ち上げる必要があります。
④ シミュレーション
抽出した意図を受け取り、人工世界内で身体や環境の物理的なふるまいを計算します。これは単なる「見た目のアニメーション」ではなく、行為と結果の因果律を成立させる中核処理です。
⑤ 感覚提示
行為が成立した結果を身体へ返す必要があります。視覚だけでなく、運動錯覚などの運動感覚を含めて、感覚間の矛盾が最小になるようフィードバックを設計しなければなりません。

Motion-Less VRとは何か
上記のフルダイブ成立条件を踏まえ、Motion-Less VR(モーションレスVR)を次のように定義しています。
【Motion-Less VRの定義】運動を伴わずに人工世界で現実の身体と同じようにアバターを動かし、その結果が感覚として返ってくること
この定義は、フルダイブの5要素によく対応しています。
運動を伴わないため「運動・感覚の抑制」が前提となり、意図を入力とするため「運動意図の取得」が必要になります。そして人工世界内で「シミュレーション」を行い、結果を「感覚提示」として返します。

Motion-Less VRの探求は、フルダイブの成立条件を工学的に解き明かすプロセスでもあります。
「脳直結(BCI)」がすぐには答えになりにくい理由
フルダイブの議論では、「脳に直接電極を繋ぐ(ブレイン・マシン・インターフェース等)」手法が究極の解決策として語られがちです。現実の身体を動かさずに済むように思えるからです。
しかし一般用途において、脳直結はフルダイブのハードルを下げるどころか、成立条件を一気に厳しくしてしまう側面があります。
センサと分解能の限界
非侵襲(頭皮上からの計測など)では情報の粒度が粗くなりやすく、侵襲(外科的埋め込み)では医療的リスクが非常に大きくなります。さらに非侵襲では、頭蓋骨や皮膚を挟むことで信号が混ざりやすく、狙った部位の活動を細かく分けて読むことが難しくなりがちです。一方で侵襲は、手術そのものの負担に加え、感染リスクや長期安定性、入れ替えの問題、倫理・制度面のハードルが一気に上がります。加えて、どちらの方式でも装着条件や電極状態の変化が再現性に影響しやすく、日常利用での安定運用を難しくします。指先の微細な力加減や連続動作の滑らかさを読み取る分解能の確保は、極めて難易度が高いのです。
精度と安定性
フルダイブでは、入力誤差が直ちに「意図と結果のズレ(違和感)」として体験を崩す原因になります。日常的な個体差や体調変動の中で、常に安定稼働させるハードルは高いと言えます。
安全性と運用コスト
誤作動時のフェイルセーフ、セキュリティ面のリスクに加え、装着やキャリブレーション(校正)の運用負担が普及の大きな障壁になります。脳直結は一見「フルダイブへの近道」に見えますが、社会実装の条件が重すぎます。
合理的推測
合理的推測として、脳直結が一般用途で実用化される段階においては、その手前で必ず「Motion-Less VRの成立条件」が満たされているはずです。脳の信号を完璧に読み取れたとしても、結局は「意図→シミュレーション→感覚の返り」という閉ループが高い水準で成立していなければ、フルダイブは機能しないからです。
よくある誤解
- 「脳直結が唯一の答えである」
そう言われがちですが、フルダイブは特定技術ではなく「成立条件の集合」として捉える方が整理しやすいです。
- 「映像が高精細ならフルダイブになる」
とも言われますが、視覚だけでなく、行為と感覚の返りが整合して初めて成立に近づきます。
- 「全身トラッキング(フルトラ)の進化形がフルダイブである」
という見方もありますが、現実で身体が動く方式は、本ページの定義におけるフルダイブとは構造が異なります。
FAQ(よくある質問)
Q1. アニメやSF小説のようなフルダイブは実現できるのか?
可能性としての議論は十分に可能です。ただし、ある日突然完成する魔法の技術ではありません。「運動の抑制・感覚の抑制・運動意図の取得・シミュレーション・感覚提示」という5要素の技術が同時に成立して、初めてその境地に近づきます。
Q2. なぜ身体を動かすVRはフルダイブと呼べないのか?
行為と感覚の成立が「現実世界」へ漏れてしまうからです。現実の身体運動が先に成立してしまうと、現実環境からの物理的な感覚入力(重力や床の感触など)が人工世界の設計と衝突し、体験の矛盾を防ぎにくくなります。
Q3. Motion-Less VRとは何ですか?
現実の身体運動を伴わずに、人工世界内で自分の身体と同じようにアバターを動かし、その行為の結果が適切な感覚(運動感覚など)として自分に返ってくるシステムのことです。
Q4. 脳直結技術ができればフルダイブは完成するのでは?
完成しません。脳直結はあくまで「入力と出力のインターフェース(入口と出口)」の一つに過ぎません。安全面や精度の課題が極めて大きい上、読み取った意図を人工世界内で正しく処理し、違和感なく感覚を返す「シミュレーションとフィードバックのループ」が完成していなければ、体験として成立しません。
Q5. なぜ視覚だけでなく「運動感覚」が重要なのか?
人間の行為には必ず「返り(手応え)」が必要だからです。視覚情報だけで身体を動かした気にさせようとしても、現実の身体感覚との間で矛盾が生じ、体験が崩れてしまいます。力覚や触覚、運動錯覚などを通じて感覚間の矛盾を小さくすることが、フルダイブの成立に直結します。
まとめ
フルダイブは成立条件の集合であり、Motion-Less VRはその5要素を同時に満たす方向で人工世界を構築する現実的なアプローチです。
当研究室(Artificial World Implementation Laboratory: AWIL)では、このMotion-Less VRの実現に向けた研究を進めています。
特に、身体を固定した状態で「動こうとする力(下肢関節のトルクなど)」を検出するデバイス開発による運動意図の取得や、腱振動・皮膚牽引刺激を用いた運動錯覚による感覚提示など、Motion-Less VRを構成する要素技術のシステム化に取り組んでいます。
脳直結という遠い未来の技術を待つのではなく、現在の工学的なアプローチから「人工世界内で行為と感覚が完結する」新たなインターフェースの形を切り拓いていきます。
望月典樹