7.人工世界を成立させる技術

思想を研究へ接続するために


ここまで私は、かなり大きな話を書いてきた。
評価に縛られた社会があり、働くことが自己価値の確認装置になっていて、生活が保障されても人間の比較や欲望は消えず、その結果として現実世界だけでは全員を主人公にできない。だからこそ、現実とは別に、欲望や承認や関係を受け止める人工世界が必要になる。しかも、その世界の他者は最終的にはAIでよいし、むしろAIである方がよい。
この一連の話は、思想としてはつながっている。
しかし、思想がつながっているだけでは、研究にはならない。
本当に重要なのは、その世界を成立させるために何が要るのかを、技術の言葉で引き受けることだ。
人工世界が必要だと言うのは簡単だ。
相手がAIでもよいと言うのも、議論としてはできる。
だが、人がその世界を本当に「住む世界」として受け入れるには、何が必要なのか。
私は、その答えが身体にあると思っている。
そして、その身体の問題に真正面から向き合う技術として、どうしてもモーションレスVRが必要になる。

人は視覚だけで世界に住んでいるわけではない


人は、頭の中だけで世界に住んでいるわけではない。
視覚だけで生きているわけでもない。
自分がそこにいて、自分が何かをし、その行為が世界を変え、その変化が身体に返ってくる。そうした循環が成立してはじめて、人はその世界を自分の現実として引き受け始める。だから、人工世界を本当に成立させるためには、単に映像を見せるだけでも、音を鳴らすだけでも、会話ができるだけでも足りない。身体そのものが、その世界に参加していなければならない。

現実の身体をそのまま持ち込めばよいわけではない


ただし、ここで言う「身体が参加する」というのは、現実の身体をそのまま人工世界へ持ち込むという意味ではない。むしろ逆である。いまの多くのVRは、歩くなら現実でも歩く、腕を振るなら現実でも振る、しゃがむなら現実でもしゃがむ、というかたちで、現実の身体運動をそのまま前提にしている。これは一見すると自然だが、その自然さこそが人工世界の自由度を大きく制限している。
なぜなら、その瞬間、人工世界の身体は現実の身体の従属物になるからだ。
狭い部屋では自由に動けない。家具があればぶつかる。疲れれば続かない。体力、年齢、障害の有無、空間条件、身体能力の差が、そのまま人工世界の可能性を決めてしまう。そうである限り、人工世界は現実世界の延長にはなっても、現実世界とは別の生活圏にはなりにくい。

モーションレスVRの核心は「小さな操作」ではない


固定された身体から、本来の運動そのものを人工世界で成立させる。
固定された身体から、本来の運動そのものを人工世界で成立させる。
私は、人工世界を本当に社会の受け皿にするためには、現実の身体条件から人工世界の身体を解放しなければならないと思っている。ここで必要になるのが、身体を少しだけ動かして済ませるような操作系ではない。必要なのは、身体を装置に完全固定したまま、本来なら現実空間で発生したはずの運動そのものを、コンピュータ内で物理的に成立させることである。これが、私の考えるモーションレスVRの核心だ。
ここで重要なのは、モーションレスVRを「動かないためのVR」と理解しないことだ。
それは本質ではない。
身体を固定するのは、楽をしたいからでも、省エネのためでもない。固定するのは、人工世界の中の身体を、現実の身体運動から独立させるためである。現実の身体を動かさなくてもよいからこそ、人工世界の中では、広い空間を走れるし、飛べるし、別の身体にもなれるし、現実では不可能な運動も成立させられる。つまり、モーションレスVRは運動を弱める技術ではない。現実の身体条件に縛られない運動を、人工世界の中で成立させる技術なのである。

離散的な命令では足りない


ただし、ここで話は一気に難しくなる。
もしそれが、単に「前へ進む」「右へ向く」「ジャンプする」といった離散的なコマンドを送る話なら、まだ単純だったかもしれない。けれど、人間の運動はそんなふうにはできていない。歩く、走る、跳ぶ、つかむ、押す、避ける、抱きしめる、振る、身をひねる。そうした運動は、本来、離散的な命令列ではなく、身体全体にまたがる連続的な力学として立ち上がる。だから、人工世界の中で本当に「自分が動いた」と感じられる身体を作るには、単純なコマンド化では足りない。

必要なのは、通常の運動と同質の運動意図である


必要なのは、通常の運動と同質の運動意図である。
しかもそれは、ユーザーの内側で曖昧に「そうしたい」と思っているだけでは足りない。通常の身体運動と同じ質を持った意図が、装置との界面に、計測可能なかたちで現れてこなければならない。そして、その情報をシステムが高精度に計測し、高精度に解釈しなければならない。
ここを軽く考えると、モーションレスVRはすぐに曖昧な操作系になってしまう。
しかし本来やるべきことは、そうではない。
身体を完全に固定した状態でも、ユーザーの中では「走ろうとする」「腕を振ろうとする」「何かをつかもうとする」といった運動意図が立ち上がる。そのとき、本来なら筋骨格系を通して空間に出力されたはずの運動を、装置との接触面や計測系の中でどう捉えるか。それをどう連続的な運動として再構成するか。ここが最大の難所である。

入力だけでは、人工世界の身体は成立しない


しかも、そこで終わりではない。
意図を正しく取れたとしても、それだけでは人工世界の身体は成立しない。
なぜなら、人は自分が動いたことを、出力だけでなく、返ってくる感覚によって確かめているからだ。
何かをつかんだときには、つかんだ感じがいる。
走ったときには、走った身体の変化がいる。
押し返されたときには、押し返された感覚がいる。
姿勢を変えたときには、身体の向きや位置が変わったという運動感覚がいる。
つまり、視覚があれば足りるのではない。触覚も、運動感覚も必要である。だが、ここでも大事なのは「たくさん返せばよい」という話ではない。

意図と感覚の一致が、身体の納得を生む


成立の条件は、意図の取得と感覚の一致である。
成立の条件は、意図の取得と感覚の一致である。
最も重要なのは、返ってくる身体感覚が、その人の意図にマッチしていることである。
たとえば、自分は「つかむ」つもりだったのに、返ってくる感覚が「押す」に近かったら、その身体はすぐに嘘になる。前へ走ろうとしたのに、人工世界の身体がわずかに浮いたり横へ流れたりするように感じられたら、自分の行為としては成立しない。人間が「これは自分がやった」と感じるためには、意図、運動、感覚の三つが一貫していなければならない。
ここを誤ると、身体感覚は豊かであるどころか、むしろ邪魔になる。
意図と合わない感覚は、没入を強めるのではなく、身体の納得を壊す。
だからモーションレスVRの難しさは、単に感覚を足すことではない。通常運動と同質の意図を正確に取得し、その意図に対して矛盾しない運動をコンピュータ内で成立させ、その運動に一致する身体感覚を返すことにある。

モーションレスVRは、身体そのものを構成する技術である


この意味で、モーションレスVRは単なる入力装置でも、単なる出力装置でもない。
それは、固定された現実身体から、本来なら外界に発生したはずの運動を読み出し、コンピュータ内で物理演算によってその運動を再現し、その結果に整合した触覚・運動感覚を返すことで、人工世界の身体そのものを構成する技術である。
私は、人工世界が本当に「住める世界」になるかどうかは、この一点にかかっていると思っている。
どれほどAIが賢くなっても、どれほど物語が豊かでも、身体がそこへ入れなければ、それは結局「見る世界」に留まる。
しかし、固定された身体からでも通常運動と同質の意図を正確に取り出し、その意図と一致する運動と感覚を人工世界の中で成立させられるなら、人はそこを自分の行為空間として引き受け始める。そうなって初めて、人工世界は娯楽ではなく、生活の舞台になり得る。

これは快適性だけでなく、平等性の問題でもある


もう一つ大事なのは、これは快適性の話に留まらないということだ。
入口が現実の身体能力に依存している限り、人工世界は新しい格差装置になる。広い空間を持っている人、体力のある人、若い人、身体機能に制約のない人が有利になる。けれど、身体を固定したまま人工世界で自由な運動を成立させられるなら、その入口はかなり平準化できる。高齢でも、障害があっても、疲れていても、狭い部屋しかなくても、人工世界の中では別の身体を持てる。これは単なる便利さではなく、「誰が世界へ入れるのか」に関わる条件である。

研究として何を引き受けているのか


だから、私にとってモーションレスVRは、面白いインタフェースの一種ではない。
それは、人工世界時代の基盤技術である。
人間が現実世界だけでは受け止めきれなくなった欲望や比較や承認を、別の世界で処理する。そのための入口を作る技術であり、その世界の中で本当に身体を成立させるための技術である。
ここまで来ると、モーションレスVRは研究テーマというより、社会設計の条件に近い。
人工世界が必要だという議論は、そこだけを切り出せば思想に見える。
だが、その世界を本当に成立させるための身体の問題に降りていくと、それは具体的な工学になる。
どのような計測が必要なのか。
どの程度の精度と遅延が許されるのか。
どのように運動を物理演算で再現するのか。
どのような触覚・運動感覚の返還が必要なのか。
そこで初めて、思想は研究になる。

この研究室がモーションレスVRをやる理由


Motion-LessVRは、娯楽装置ではなく、新しい生活基盤の入口になりうる。
Motion-LessVRは、娯楽装置ではなく、新しい生活基盤の入口になりうる。
私は、その接続にこそ意味があると思っている。
現代の評価社会、労働の意味、欲望の衝突、人工世界の必要性、AI他者の必然性。それらをただ語るだけなら評論になる。
しかし、その帰結として何を作るべきかを引き受けるなら、そこからは工学が始まる。
この研究室でモーションレスVRをやっている理由は、そこにある。

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